「ジャンヌ・・ ジャンヌ・・ 」
やさしい声が届きます。
「ジャンヌ・・ あなたの務めは終わりました。」
「・・ゆっくり おやすみなさい・・」
教会の鐘の音と民衆の泣き声が小さくなっていくとジャンヌは天国へ登って行きました。
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ジャンヌはフランスを救うため、最後まで戦いました。
そして、フランスを守り抜きました。
1339年、イギリスのエドワード3世はフランドル領の支配のために北フランスに侵攻して
百年に続く戦争が勃発します。
この戦争の背景にはヨーロッパ有数の毛織物業地帯の占領とアンジュー帝国の再現をもくろむものでした。
1356年、ポワティエの戦いでイギリス軍に破れるとフランス南部の主要な都市が陥落し、多数の捕虜が捕らえられます。
この頃、黒死病(ペスト)の大流行があり、フランス全土で3分の1もの死者が出ました。
戦死者を含めてフランスの人口は3分の1ほどになったといわれます。
フランスは長い戦争の中で疲弊していきます。
1415年、イギリスのヘンリ5世はフランスの内乱乗じノルマンディーに進行し、フランス王軍に大勝
1420年にトロア条約を結び、フランスの王位継承権を認めさせます。
1422年、フランスのシャルル6世が没すると、王位はイギリスのヘンリ6世がフランス北部の王位を継承しました。
シャルル7世は王位を名乗りますが、殆どの都市はイギリス領地となり残されたオルレアンに潜みます。
1429年、フランスは3分されイギリス軍は南下、ロアール川をはさんでオルレアンで対峙していました。
このような時代背景もあり、黒死病、オルレアンやフランス国土の惨状を少女ではなくとも嘆いたと思います。
ジャンヌは農家の出身でしたが、神の啓示に従いオルレアンを開放し王太子を戴冠させるために発ちました。
1429年、17歳のジャンヌは僅かの兵を率いてオルレアンを囲み解き、次々と北上して勝利を重ねると
ランスを陥落してシャルル7世の戴冠式を実現しました。
彼女は剣よりも旗を持ち、兵士を鼓舞し傷つくものや捕虜にもやさしく声をかけたといいます。
兵たちには彼女を通して神の加護を感じ、敵軍は対峙するまもなく敗走したといいます。
このことによりフランスはイギリス領へ統治されることはなくなりました。
しかし、ジャンヌの功績を妬む貴族、役人から不利な戦線への参加を強要されます。
それでも命のままに僅かな軍勢で進行しますが、味方の裏切りに合い、敵側に捉えられます。
イギリスにとっても大儀は聖戦であったため、ジャンヌの存在は邪魔でした。
ジャンヌが神の声を聞いたのは偽りで異端者、魔女として裁判がおこなわれました。
最後まで正義と真実を語りましたが、それは仕組まれた裁判でした。
ジャンヌは虚言者として生きるより神の啓示を重んじ、フランスを愛した騎士として死を選択します。
1431年に19才のジャンヌは処刑されます。
彼女のイエスに祈る清廉な声が広場に響き裁判の間違いを司祭や民衆に伝えました。
ルーアンで火刑にされると遺灰は2度と復活しないようにセーヌ川に流されました。
その後、戴冠したシャルル7世はフランスの復権に命をかけました。
イギリス軍を孤立させ1437年には首都パリを、続いてノルマンディー・ギエンヌを回復し
1453年、イギリス軍勢力をフランス国土から駆逐すると100年戦争は終結しました。
少なくともフランス軍兵士には、旗を振り兵士を鼓舞しやさしく微笑むジャンヌの姿が映っていたのかもしれません。
1456年、シャルル7世の命によりジャンヌの名誉回復裁判が行われました。
その後、名誉回復裁判は何度も行われました。
そして幾度となく訪れたフランスの危機にも彼女の存在が語られます。
1909年、ローマ教皇ピウス10世によって列福され、1920年に聖人となります。
いまではフランス国民が誇りに思う英雄として慕われています。
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