鉄の雨、鉄の雨、降りしきる鉄の雨
この子を守れるのは私だけ
泥の雨、石の雨、炸裂する砲弾、鉄の雨
この子を守れるのは私だけ
鉄の雨、鉄の雨、鉄の雨
この子を守れるのは・・
今から66年前の1945年、太平洋戦争末期、国内で唯一の地上戦になった 沖縄でのお話です。
連合軍の着上陸にあわせてアメリカ軍だけでも2,716,691発の砲弾が沖縄に降り注ぎました。
人々は砲弾から逃れるため共同の横穴である防空壕に非難しました。
そこでは、敵のレーダー(音源収集など)から逃れるためにじっと音を立てずに息を潜めるわけですが、
小さい赤ちゃんは泣き声を上げてしまいます。
非難豪の中の人たちは死を覚悟する背筋か凍りつくような泣き声に聞こえたといいます。
そのため、布団をかけたり、古井戸の底において蓋をかけたり、命を取り上げたりと
故意であれ過失であれ沢山の小さな尊い命がなくなりました。
赤ちゃんの母親達は、処分を迫られると赤ちゃんと一緒に豪を出て行く方が多かったようです。
豪を出ると、誰も守ってくれません。
配給の食料も井戸の水も飲めなくなります。
身を寄せて休める所もなくなります。
赤ちゃんと母親のたった二人だけで戦わなければなりません。
昼間は砲撃や戦闘機から身を守るため窪地を掘って息を潜めました。
深夜になると森の中を食料になるものや水を求めて彷徨いました。
口に入るものは何でも口に入れ
死体の浮いた泥水でも飲んだそうです。
それでも、赤ちゃんの体は衰弱して冷たくなっていきました。
子供をかばって砲弾に撃たれ亡くなる母親がいました。
そして多くの母子が消息不明となっていきました。